CD&Book "Nahal`s Bell" ナヘルの鐘 

著者 :

長屋和哉・文、音楽

福井篤・絵、音楽

浅野達彦・音楽、装幀

 

Authors :

Kazuya Nagaya (Story, Music)

Atsushi Fukui (Painting, Music)

Tatsuhiko Asano (Music, Book design)

 

 

Music

 

1. a Bell in the Field 4:10

2. And So the Horses Were Gone 5:32

3. What is Sadness? 2:54

4. Mr. Cat on the Boat 5:22

5. Well of Silence 4:33

6. the Northern Edge of the World 6:42

7. Embracing the Shadow 4:30

8. Eternal Winter 6:14

Total 40:00

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format : BOOK + CD

release date : 25. 4. 2014

発行 : 樹林舎

発売 : 人間社

定価 : 2,160円(本体+税)

Buy : amazon
 

永遠の冬~あとがきにかえて

 

 この物語『ナヘルの鐘』は、ある時ふいに僕のところへやって来た。

 何の前触れもなく、気がついた時にはすでに僕の頭のなかにしっかりと居座っていた。ノックもなければ、挨拶もなかった。それは勝手に僕の家のドアを開け、キッチンの椅子に腰かけて、家主である僕が目覚めるのを待っていた。

 それはきっと真夜中のことだった。

 僕がその存在に気がついたのは、目が覚めた時だった。旅先のホテルの無機質な部屋。遮光カーテンの隙間から朝の眩い陽射しがこぼれ、僕の顔をちらちらと照らしていた。僕は目覚め、薄暗い部屋をぼんやりと眺め、そうしてしばらくしてから、それに気がつくのだ。

 なぜ、僕の頭のなかに、物語があるのだろう?

 僕はそう思う。ベッドから体を起こし、背もたれに寄りかかる。頭はまだはっきりとしない。まるで夢を見ているように思いながら、ベッドから抜け出してシャワーを浴び、それから机に向かう。簡易ポットで湯を沸かしてコーヒーを作り、ようやく夢から覚めたように感じ、さて、と思う。

 さて。とりかかるか。

 僕はまるで熟練の整備士がエンジンルームをチェックするみたいにボンネットを開けて、ベルトのたるみ具合を調べてみる。バッテリーやらブースターやら複雑な電気配線やらを一つひとつチェックし、そして、何ひとつ異常のないことを確認する。そう、何ひとつ異常は見当たらないし、欠けている部品だってひとつもない。すべては完璧にしかるべき場所にあるのだ。その物語には、主人公がいて、彼女を取り囲む配役たちがいる。背景があり、時間軸があり、そして運命がある。何ひとつ欠けてはいない。

 僕はそれを手にして、眺めてみた。驚いたことに、主人公にはすでに名前すら存在していた。

 彼女の名前は、ナヘルといった。

 彼女には家族があり、町があり、町を取り囲む森があった。彼女は永遠の冬に暮らし、そして失われた猫を抱いていた。

 ナヘルは悲しくて透明な目をしていた。彼女は悲しみそのもののようだった。それは透明で穏やかな、深い悲しみだった。

 ナヘルは僕の前に腰かけていた。彼女は笑いかけなかった。うつむき、口を結んだまま、透明な猫を抱いていた。

 僕はホテルの備品のメモに走り書きをした。

 

 ナヘルは消えていった。

 ナヘルは悲しく、そして満ち足りていた。

 私の悲しみはなんて透明で、穏やかなんだろう。

 まるで私の悲しみは、日だまりのようだ。

 

 僕は書いたメモをバッグにしまい、ホテルを後にした。外は快晴の晩秋の朝だった。車のエンジンをかけ、街を出た。数日後、自宅に戻り、書いたメモを窓辺の本棚の片隅に置いた。

 いつかゆっくり時間をとってこの物語を実際に書こう、と僕は思った。いや、書かなければならない。それは僕の意志ではなく、何というか、ある種の使命のような感じがした。理由はわからないが、ナヘルという名の少女がある真夜中に僕のもとを訪れ、そして、もうどこへも行こうとはしなかった。彼女の確かな存在は、すでに書かれるべきものとして僕のなかで息づきはじめていた。

 

 だが実際にナヘルの物語を書き始めたのは、それから二年以上経ってからのことだった。

 その間、走り書きのメモはずっと窓辺の本棚に置かれたままだった。僕は時々メモを読み返したが、何ひとつそこに書き加えることはしなかった。やがてメモは陽光のせいで色あせた。角が折れ、うっすらとほこりをかぶって、みすぼらしい紙切れになった。

 二年後の秋、僕はパリにしばらく滞在することになった。

 二ヶ月余りでパリとポーランドのいくつかの街でライブをするのである。ポーランドでのスケジュールは少しタイトだが、パリではかなりゆっくりとできそうだった。僕は楽器やらノートパソコンやらと一緒に、すっかり薄汚れてしまったメモを旅行鞄にしまい込んだ。

 僕はパリでアパートを借りた。小さなキッチンとリビング、そして書斎とベッドルームを兼ねた小さな部屋がある古いアパートだった。そこはサンジェルマンデプレから程近いパリの中心部にあり、窓の外には大きな教会が建ちそびえていた。

 窓の下の通りは賑やかだった。僕が借りた部屋は二階にあり、通りを歩く人々の声は窓を閉めていても室内までよく聞こえてきた。階下にはパン屋があり、舗道の脇には噴水があった。その噴水のまわりには人が集まり、まれにデモ隊のような連中すらやって来ることがあった(いったいなんでパリではしょっちゅうデモばかりやっているのだろう)。

 僕は窓辺から彼らを眺めた。その窓辺には机があり、僕はそこにノートパソコンを据えた。そして、その横に薄汚れたメモを置いた。窓からは人々の喧噪と一緒に、秋の風が吹き込んできた。

 ナヘルの物語は、二年の歳月を経ているにも関わらず、いまだに何ひとつ欠けることなく僕の頭のなかにあった。

 僕がやるべきことは、それが語る言葉に耳を澄まし書き写していくだけだった。昔話を語る老婆に耳を傾ける民俗学者のように。あるいは、カーラジオから聞こえてくる黄泉の国の詩人の言葉を書きつけるジャン・マレーのように。

 ナヘルはあの日の真夜中、僕のもとへやって来た時と同じように僕の前に腰かけたままだった。彼女は僕のなかで生命を持ち、僕は彼女にある種の愛おしささえ感じていた。

 なぜ彼女は、僕のもとへやって来たのだろう。そして、なぜ物語は完全な形でふいに訪れたのだろう。それは、僕にとっては生まれて初めての経験だったし、説明しようのない不思議な体験でもあった。まるで、物語は誰かによって作られるものではなく、最初からどこかに存在し、意志を持ちながら風のなかに浮遊し、そしてしかるべき語り手を見つけると、ふっと彼の頭のなかに入り込む精霊か何かのようだった。そう、あるいはほんとうにそうなのかも知れない。僕は思った。

 ナヘルもやはり精霊のようだった。

 彼女は、冬の精霊だった。永遠の冬の精霊。永遠に降り続ける雪の少女。

 僕は八ヶ岳の冬を想った。そこは、僕が東京から移住してすでに十年以上暮らしている土地だった。標高千メートル程の高原で、冬の寒さは東京とは比べものにならなかった。

 移住した当初は、その冬の厳しさが嫌でたまらなかった。晩秋の頃になると少し鬱っぽくなり、いざ冬が来ると家から出たくなくなった。私道の雪かきは憂鬱だったが、それをしなければ車は使えなくなった。いったいなんでこんな所に移住したのかと後悔し、いっそのこと沖縄にでも移住しなおそうかと何度も真剣に考えた。

 そして、それが変わったのは、一緒に暮らし始めた犬たちのおかげだった。

 犬たちは僕を雪に埋もれた山道へ連れていってくれた。そこはひどく寒かったが、美しさは言葉にならなかった。僕は何度もそんな光景のなかに身を置くうちに、いつしか冬を愛するようになった。

 

 標高およそ千四百メートルの散歩道。

 冬になって雪が降れば、そこは誰ひとり歩く者のいない山道となった。木々は秋の早い時期にすでに葉を落とし、所どころに点在するアカ松だけが寂しげに葉を残していた。だが、いったん雪が降ればその葉の緑も一面の雪に覆われ、すべての白に埋もれてしまった。雪の道にはたったひとつの足跡もなく、ただ犬たちと僕の足跡だけが僕たちの背後に点々と作られてゆくだけだった。

 冷たい風が吹くと、木々の枝に積もった雪がはらはらと舞い落ちてきた。

 犬たちは雪が好きだった。彼らは体が埋もれてしまうほどの雪のなかを跳ぶように駆けていった。白い息をつきながら、雪の斜面を駆けのぼった。

 犬たちは美しい。

 彼らの野性は、僕たち人間には到達しようのない美にあふれていた。彼らはすべてと調和し、生命の陶酔のさなかにあった。彼らの全身の筋肉は、はじけるような歓喜にみなぎっていた。

 その山道で、鹿の群れによく遭遇した。

 彼らは敏捷で、山の斜面を跳びながら移動していった。犬たちがそれを見つけると、若いほうの雄が追いかけていった。どこまでも白い雪の斜面を駆けのぼり、まもなく鹿の群れとともに姿を消した。いずれ疲れ果てるまで、彼は僕のもとへは戻って来なかった。

 鹿の群れを追って若い雄が走り去ると、あたりは突然ひっそりと静まり返った。

 それはまるで、世界のすべてが沈黙してしまったようだった。生きている者は、僕と老犬だけ。風が斜面を吹きぬけてゆき、どこかの雪を舞い上げた。僕は立ちどまり、空に舞う雪を見上げた。

 僕と老犬以外に誰一人生きる者のいないその世界で、僕たちはひょっこり迷い込んでしまった部外者のようだった。その世界は、僕たちなしで完結しており、何ひとつ欠損のない完全性を持っていた。その完全性は厳格で、透徹なルールを有しているようだった。

 あらゆる命は、ここでは生きられないのだ。ここにあるのは透き通った美しさのみで、命はその美の前でただ熱を失うのだ。透徹なルールは、僕にそう告げているようだった。それは、あるいは死の世界なのかも知れない。だがそれは、あまりにも白く美しい死の世界だった。

 僕はその世界に魅了された。その世界は僕を呼んでいた。そしてやがて春が来て、山の雪がすべて消えてしまっても、僕を呼ぶ声はこだまし続けていた。夏になっても、僕はその世界とともに存在していた。

 それはまるで、永遠の冬のようだった。

 それは僕のなかのどこかに居座り、もう決して立ち去ろうとはしなかった。

 僕と老犬は、雪のなかを歩き続けた。遠くから、鹿の群れの気配がした。するとほどなく、若い雄が戻ってきた。息を切らし、僕と老犬に従った。

 薄曇りの白い空から、はらはらと雪が舞ってきた。

 

 書くのに疲れると、僕はよく近所のカフェへ行った。

 パリのカフェではたいてい舗道沿いにテーブルが置かれていて、そこでコーヒーを飲みながら歩いてゆく人たちを眺めていると、理由もなく気分が晴れた。またデモ隊が通りすぎていった(事情は知らないが、いったいいつまでやるつもりだろう)。

 季節は急速に進み、すでに晩秋の気配がしていた。僕はアパートに残してきた書きかけの原稿のことを考え、ナヘルのことを考えた。そして、永遠の冬のことを考えた。

 おそらくナヘルとは、僕が魅了された白く美しい死の世界そのものなのだ、僕は思った。その世界がナヘルという名の少女の姿になって、僕のなかに生まれたのだ。

 あるいは、それは間違っているかも知れない。やはり、ナヘルとその物語は、風のなかを浮遊しながらしかるべき語り手を探していた精霊だったのかも知れない。僕にはよくわからなかった。だが、どちらでも構わなかった。いずれにしてもパリでの滞在のあいだに、ナヘルの物語は具体的な形をなし、確かな言葉をとらえた。そうして初稿が仕上がった。

 ほどなく帰国し、年をまたいで物語は完成した。

 

 友人の画家である福井篤さんが、この物語のために素敵な絵をたくさん描いてくれた。彼の絵は、物語に豊かな色彩を加え、生命を与えてくれた。ナヘルの物語は、彼の絵なしには存在できなかった。

 そして、やはり友人である浅野達彦さんが加わって、物語のサウンドトラックを一緒に作ってくれた。浅野さんと福井さんと僕の三人で三夜をかけてレコーディングをし、その後、浅野さんと僕がそれらを元に作曲をした。僕はずっと以前から浅野さんのファンだったから、彼と一緒に音楽を作れたことは至上の喜びだった。

 『ナヘルの鐘』がこうして出来上がるまでには数年の時間がかかったが、素晴らしい絵と音楽が一緒になり、当初には想像すらできなかったほど美しい本になった。その最後の仕上げをやってくれた編集者の折井克比古さんには、心からの感謝を捧げたい。彼とはすでに三十年近い付き合いになる。僕のもっとも古い友人の一人だ。

 そして我が家の猫、ミント君にも大きな感謝を。

 生後まだまもない頃に瀕死の重傷を負ったミント君は、縁あって我が家の一員となった。当初はいつ死んでもおかしくないような状態だったが、その後順調に回復し、今ではすっかり元気になった。

 彼は我が家に計り知れないほどたくさんの幸福をもたらしてくれた。今でも。そしてこれからも。

 愛しき猫、ミント君。君がくれた幸福のすべてに、胸いっぱいのありがとうを。

 

 読んでくださった皆さんの胸に、ナヘルと猫がそっと寄り添うことを願って。

                                    長屋和哉

© 2020 Kazuya Nagaya